久しぶりの雨音を聞きながら目を瞑って一度寝かけたところ、久しぶりに「ビクッ❗️」として目を覚ます現象に出会い、もう一度寝入るか〜と寝返りをうつと軟骨のピアスがないことに気がつく。周りを探してもないので昔ラブレット用にしていたピアスを刺してまた眠った。
起きたら13時で嬉しかった。昼過ぎまで眠れると嬉しくなってしまう。回復した感じがするからかな。台風が近づいているし、生理中ということもあってたくさん眠れたんだろうね。
バイト中昨日の雨すごかったよねと、一緒に働いている子と話していた。電車でここまで通っているその子は「こっちは何時くらいに降った?」と、聞くので
「12時過ぎかなー。本読んでてさ、雨の音がして良かったよ」
と、答えるとお客さんが
「うちの娘も本を読む子になって欲しいなあ。全然読んでくれないけど。本は想像力も湧くし...」
と、つぶやいた。
本って一体なんなんだろうな、本を読んで想像力って湧くのかな。本を読んで想像力が湧くんじゃなくて、今まで見てきたものが文章からの景色を見得るものにしてくれるんじゃないかな....うーん本がいいものであることには変わらないんだけど。
たくさんある娯楽の中でこんなに自分のペースで楽しめるものはないよ。映画もアニメも好きだけど本というアイテムがかなり好きです。
好きなお客さんが来て、おでんを適当に盛ってあげたら「すばらしいね、この取り合わせ」と、言ってくれた。実際すばらしかったのだ。
揚げ物とその人がいつも食べる牛すじ、わたしが好きな昆布、ベーシックに卵。うん、いい感じ。
そのお客さん(以下Oさん)は写真をやっていて、何年か前に展示をやった。わたしはその会場に置いてあった感想ノートに感想を書いた。
Oさんは酔っ払うと、わたしが書いた感想について延々褒めるのだが、今日もそのターンが来て
「あなたの感性や感覚が大好きです」
と、あまりにも強くまっすぐ言うので恥ずかしくて
「もう何年前ものことですよ」
と、照れながらも言った。
「何年前とか、そういうことじゃないんです!」
と、曇りなき眼で言うのでハッとしてしまった。
Oさんの帰り際にエッセイ本作ったことを伝えておいた。
あんなにまっすぐ強く言葉を伝えられるのって愛の告白みたいだった。
誰かにまっすぐで強い言葉を向けられる時というのは、大体愛の告白をされる時くらいになった気がする。しかし、わたしは愛の告白をされれば、ひとたび相手のことがわからなくなってしまう。なんでわたしのことが好きなのかわからない。まっすぐで強い、本当の言葉を浴びていたいのに。あなたが、遠くに行ってしまう。
恋愛は居心地が悪いのに、恋愛を介さず他人に触れたい。動物が毛繕いをするように人に触れたいし、人に触れられたいと最近よく思っていた。スキンシップだけを求めたいのに、誰でもいいわけはないし、友達と裸で眠りたいわけではないから最後に撫でた背中や髪の毛の色やうなじの癖、朝の光を思い出していた。
最近の満たされなかった何か、それを満たしたいと思っているのに、すぐには叶わないその『満たされなさ』にもどかしさを感じる。
そして、そのもどかしさは『世界は恋愛を求めていて、わたしは恋愛を求めていない』という違いを、溝ををまざまざと見せつけてくる(わたしが見ているだけかもしれない)。わたしの『満たされなさ』が、『世の中とわたしの違い』という『つらさ』にすり替わってしまう。
Oさんからのまっすぐな言葉や態度は、その『つらさ』にバカでかい絆創膏を貼った。
別に満たされなくたっていいのだ。『誰かに触れたい』程度の満たされなさは時間が経てば忘れる。(忘れるけど、一度きりの人生なら誰かに触れたい、触れられたいという欲求も満たしていきたい。わたしは今恋愛を諦めているけど、他人を諦めたとは言ってない。ベタベタ触れ合いながら一緒に生きていける人に出会えるかもしれないと希望を抱きながら一所懸命生きている。)
『つらさ』という傷は、自然に治っていくものではない。治そうとすればするほど広がったりもする。しかしわたしにはバカでかい絆創膏がある。世界から塞がれた傷は自然と埋まっていく。今だけでもいい。傷跡をまじまじと見つめなくていいだけでもいい。
誰かの言葉がわたしの肩に手を置いてくれることがある。わたしはその手の甲に頬を寄せ、目を瞑る。
おやすみなさい。
『と、』と、いう表現が多くなってしまいました。会話文をどう書くか勉強しなきゃな。
あ、あと今朝、野生のリスを3匹見ました。夢で。
野生のリスを見ることがわたしの夢のうちのひとつです。かわいいんだろうな。
行き倒れてるみたいなズボン。