threadsで自分がフォローしてる人だけを見ることができなくなってた。
なんとなく宙ぶらりんになる。
気持ちを探ってみると
「好きな人たちのいる場所で自分がどう立ち振る舞っているかがわからないのが不安」
と感じているらしい。
つくづくインターネットやSNS大好きっ子だ...
俺は自分のこういうところを根暗だとかオタクだとか感じているのかもしれない。
しかし宙ぶらりんになっていたことのとき、わたしの心は猛烈に米や麺ではない食べ物を求めており深夜にコンビニへ向かおうか迷ったほどでした。風呂にも入ったし洗い物もしたというのに、ちょっとした後悔(アイドルのグッズを買わなかったことくらいしか思い当たらない) のせいか生理によるホルモンの乱れのせいか、家の契約更新のお金を払わなければいけないことを忘れていたとかそんなことがストレスになって俺を狂わせていた。
しかしほーんのちょこっとちょっとストレッチして、歯を磨いたらなんだか心が落ち着いた。
ここに何かあれば今すぐにでも食べたいが、今はまあ諦められる。
そういえば山崎ナオコーラの「あきらめる」という小説を注文したんだった(にっこり)
そうしたらもうどうでも良くなった。
でも、友達が見てくれるからthreadsにつぶやいていたが友達もthreadsでフォローしてる人のつぶやきが見られないなら、意味ないじゃんということで引き出し日記というアプリを開いて書き込みをして閉じる。自分だけが見られるいいアプリだ。
threadsをアンインストールする。友達の素敵なつぶやきだけが見られるなら嬉しいのだが、おすすめされるつぶやきの酷さに耐えられない。
ブルースカイどうなんだろう。明日インストールしてみようかな...インターネット大好きぴーや。
誰でもなくはない誰か、に頼りすぎているような気がする。ここにはいない誰か、おれは一人暮らしで恋人もいない。自分に疲れている。
その自分をここにはいない誰かに任せすぎているのではないか。誰かが自分を支えてくれたり、作り上げてくれていることには変わりない。誰かはわたしを導いてくれる。しかし、誰かはわたしではない。
自分に矢印を向けるのが難しい。心があちこちに目を向けすぎてしまう。
あれ...でもこれってもしかしたらADHDのアレなのでは...
俺に必要なのはきれいに片付いた部屋とかなのでは...
おっ、何かひとつ新しい答えも出た気がする。何にでもなんんとなく納得いく理由が欲しくて色々考えて、自分のせいにしないようにとしすぎていたかもしれない。ADHDの傾向でそうなってるとしたら考えるべきはじゃあどうしようかということではないのか!
うーんいいぞいいぞ。近づいてる。
明日もまた何かわかるかもしれない。
最近インスタのストーリー更新しすぎですね。話し相手が欲しいんです。誰か、誰かを引っかけたいのです。いい迷惑ですよね。反省。思い直しています。今読んでいる「あいだで考えるシリーズ」のSNSについての本も読んでみよう。