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タイトルに日付を入力していると、ああそういえば何日か前にわたしの元恋人と会っている人間がどーのこーのって文章を書いたけど、そんなことは忘れて日々を過ごしていることに気がついた。

日付なんて数字だし、その時期起こった出来事を掘り返してウワーンとなったりはただの1ミリもしない。ただ、ああそうだったかウケる〜くらいにしか思っていなかった。光栄なことにわたしはねちっこくない。

 

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ところで、わたしがこの毎日ブログについてかなり微妙な感情を抱いている様子を皆様もご存知かと思います。が、今日友人たちと話していく中でちょっとした手がかりをつかめました。今日はその話をしていきたいと思います。

 

 

 

・わたしは1日のことを思い返すことが苦手だし、あんまり意味のないことだと思っているらしい。1日の終わりにこのブログを更新しているのだからそりゃあ書くことがないとなるわけだ。

なぜ1日のことを思い出すのが苦手で意味のないことだと思っているかというと

「朝起きたら(昨日とは)違う自分〜」

と、いうような感覚があるからだ。

『自分』というよりかは、昨日と今日は全くの別物だと思っている。昨日のことを引きずっている状態で目が覚めることはほぼ無い。起きてコーヒー淹れようかな〜という時に昨日あった嫌なことを思い出すこともまあある。しかし、その状態が2日以上続いた場合は相当喰らった出来事だったというだけで、人に話したりしていけば、自分の納得いくところに自分の気持ちを置いておけたりする。「えりこさんって悩みがなさそうですね!」という元気な言葉をいただく度

「いやァ...😅そんなことはないですよね笑‼️」

と、答えるが、あんまり(長期的な)悩みはないかもしれない。解決しようとしていることとかはいくつかありそうだが、自分が何かに悩んでるって思ったことがあまりない。

と、言う割にバイトのシフトがかぶる度、Sさんに「最近のお悩み発表するね!」などと、おしゃべりを聞いてもらっている。

話が逸れたが、これが大きな理由のうちの一つ目。二つ目は

・メモという行為が好きじゃないらしい。

です。1日に起こったことを書き起こすことに興味がない。とある日記本を読んだ時に『鶏肉160円(その他にもあれはいくらで、これはいくら)安かったので買った。』みたいな文章を見つけて白目を剥いた。

その日起こったことを淡々と日記にしてそれを発表する行為に、苦手意識が芽生えてしまった。

ならば、心の中で起こったことをメモしておいたらいいのではないかと満希は言う。いい提案だなと思ったんだけど、その時の心の機微を何かにメモしておいたところで、1日を思い返すのが苦手なので思い出せないし、その時の気持ちはその時のものだから、そこから文章を書く想像ができない。でもメモをして文章を書くというのもやったことがないので、今度試してみようと思う。

ただ、やっぱり気持ちはナマモノだからメモをするくらいならその場で立ち止まって文章を書く時間をとりたい。それができたらすごく良いことだ。良いシーンに出会った時にサッとカメラを取り出せる時のように、自分の心に即座に反応する余裕と体力と感覚があるということだと思う。

 

以上2つの大きな理由から

・書くことがないからといって今日のことを無理やり書かない

・大きく心が動いた時、何かを思いついた時にその場で文章を書く

ことにする。

 

 

あと今日はもうひとつ日記本やエッセイに常々感じていたこと、にも大きな発展があったので、近いうちにそれも書きたいと思う。

・『書くことが自分を救った』という意見に賛同しかねる。

・エッセイって究極の自分語りだけど、自分だけを語っているものがエッセイだとは思わない。

・エッセイスト(エッセイだけをやってる人)の書くエッセイはつまらない。

この3項目から、自分が考えていることを解きほぐして行きたいと思う。

 

 

わたしが最近自分に納得していなかったのは、エッセイ書いてるってだけの人で生きてたからなのかもしれない。『身に起こること全てが芸の肥やし‼️』というふうに生活していたわけではないはずだったが、書くことないなあなどとしょんぼりしているあたり自分が見えていなかったなあと反省?した。明日からどういう自分で生きていこうか。かっこいい自分でありたいな。自分のことを書くという行為と、何か別のものをやっている自分は、良いバランスでないといけないんだなと思った。

わたしにとって写真が、何か別のもの(別の目を持っている)をやっている自分だったのだが、写真を諦めた今、わたしにできることはなんなのか。気になっている。