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強めの頭痛があってブログの更新を休もうと思ったが、鎮痛剤を飲んで風呂で頭をガシガシ洗ったらちょっと良くなったので登場。

 

2日前にクソ客に受けたクレームが本社出動レベルにまで膨れ上がっていることを知り落胆。

わたしも客(というか、何も考えてないマニュアルロボット人間)を舐めてる節があるから、接客態度を改めようと思った。適度にマニュアルをこなそう。カバーが必要か、テキトーに聞こう。と、丁寧な接客を心がけていたらいいお客さんが多くてすごく嬉しかった。

 

しかし、これだけでは終わらなかった。レジから、道の真ん中に落ちている買い物袋のようなものが見える。黒い段ボールが落ちてるとかで大騒ぎになった先日のニュース映像を思い出す。こんなところで警察が出動しても困るし、道ゆく人は見ていくだけで、端に寄せたりはしない。自転車のカゴから落ちたりしたんかなと、店を出て電信柱の根元に立てかけて置いておいた。中身は折り畳まれたカバンで、不審物ではなさそうだった。一安心して仕事に戻ると、なんだかよくわからない人間がやってきて

「あの袋を動かさないでください。私は勘がいいのでわかります。あなたは良い人ぶってやった。でも違います。動かさないでください。」と、言った。

変な会話文に見えるが、この人は母国語が日本語じゃ無い。なんとなく南の方の国から来たんじゃ無いかなって感じのいわゆる白人男性だった。すぐそばの催事スペースみたいなところでカバンを売っている人間。

「いや、別に良い人ぶってないんですけど...普通に邪魔だなって思っただけで仕事でやったというか...?」

と、答えてみると

「良い人ぶってる。わかる。あのカバンは私の店で1年前に買い物したおばさんが返してきたもの。わかるでしょ?1年前のもの返品された気持ち。私の気持ちも考えてください。」

と、カバン商人は答えた。

きっしょ。意味わかんねえし。返品されてムカついたかもしんねえけどなんで道の真ん中に置くんだよ。意味わかんねー。

「あーはいはいわかりました🙄」

と、言うとカバン商人は居なくなった。

傷つくとか辛いとかじゃなくて、意味わかんなくてだるいやつばっか。なんでそんなこと知らない人に言って良いと思ったんか、謎。常軌を逸脱した行為を前にすると理解できなくてツラ。

一緒に働いてた人に今こう言うことがあって〜と話すと抱きしめられた。辛かったら休んで良いから、いつでも言ってねと言ってくれた。

お祓いとか行った方がいいとも言われて爆笑してしまった。

 

通年の感じを見ると、5月頃に男の人からのさまざまなアプローチがあるが今年はまあ大した事件は起きず、無視すればいい程度のもので終わった。その代わり、ヤバ他人がヤバいことを言ってくるのかもしれない。よくわかんないけど、わたしの持つ『何かを引いちゃう』やつは夏前に必ず発動するのかもしれない。

んでこう言うことがあったから人に丁寧に接しようと思うと、勘違いさせることになってしまい告白をされると言う最悪なサイクルに陥ってしまうこともある。とにかく気を引き締めようと思う。

最近自分のことが全然好きじゃない。その言葉がポロッと出た時「俺はこんなに好きなのに!?」と、友人が言った。

そういう言葉と態度と、それを口に出してくれた勇気に助けられる。自分のことが好きじゃ無いのは、媚びて好きになられたくなくて誰かに粗悪な態度で接してたからじゃないかな。

誰にでもいい顔をする八方美人のぶりっ子になりたいわけじゃなくて、いわゆる最高の態度で買い物に来てくれるお客さんにちゃんとした“自分”で接したいだけだ。良いお客さんとは店員の垣根を飛び越えた、人間同士のコミュニケーションが取りたいだけなんだけど、それって店員失格だよね。のびのび働きたいものです。接客って一体なんなんだろう。仕事っていったい何?労働っていったい何?って状態なワケ。

 

ということで気を引き締めて、夜のバイトに出勤し、悪く無い1日を終えるぞって時にクソ案件発動。

店も騒がしく、声も通りにく時に

なんつーかこう、自分いい人ですよアピールをするための押し付けがましい

「ごちそうさまでした❗️」

を、耳にした。

昨日までの自分なら「ハイハイありゃーとーございますたー」みたいな気持ちでいたけど今日はちゃんと

「ありがとうございました〜」

を、言えた。

しかし、2回目の

「ごちそうさまでした⁉️」

が聞こえる。今度は皮肉たっぷりのやつ。

お前聞いてた⁉️アタシがご馳走様って言ったんだけどぉァ⁉️っていう「ごちそうさまでした⁉️」だった。マスクでありがとうございましたが聞こえなかったのだろうか。

あからさまにわたしと目を合わせようとしているその態度が気に食わず、他のお客さんの飲み物を作りながらありがとうございましたを言ったら

「感じ悪い。」

と、言われた。

 

ふぃーーー(>_<)ーーーん‼️

 

なんでみんなそんなこと言うんだよ‼️

自分の子供くらいの年齢の小娘にそんなこと言うの、クソダサくね⁉️俺はお前らのことがわからねえよ‼️

しかも、お通しは箸でかき回しただけだし、うずらの卵が入ってるさつま揚げは卵だけ食って、さつま揚げの部分は残してるし‼️そんなやつに必要以上に感じよくする義理あるかァ⁉️

 

エーーーーー。゚(゚´ω`゚)゚。ーーーーーン

 

これはね、まあ見栄を張ったわたしが悪い(という部分も、2%くらいはあったと言ってやってもいい)という部分もある。

 

けど、マジで最近やばく無い?湿気と暑さでみんな頭おかしくなっとるな?

みんな俺より夏好きなくせにヨォ...。俺は夏憂鬱でたまらないンだよォ?

 

 

と、なんだか色々書きましたが、結果いい日だったなあという感じで布団に入っています。

 

お母さんがプレゼントしてくれたTシャツを着るために、脇毛を剃りました去年の夏ぶり。さようなら僕の脇毛。

脇毛はわたしの体から一時姿を消したが、お母さんのくれたTシャツが着れると思うとワクワクする。お母さんが似合いそうだってくれたものがわたしに似合わなかったことなんかない。わたしの母じゃなくても、彼女はとてもすてきでキュートな人だと思う。そんな人がお母さんでわたしはラッキーだ。

 

 

台所の椅子に座ってキセルを聞きながら本を読む。この時間があったのも、今日が良い日になった大きな理由だと思う。

 

そういえば、マイクミルズの映画を見た特に感想もなく見終わったと本屋の先輩に言ったら

「あー笑えりこに入って出て行っただけだったんだ。わかる〜笑」と、言っていた。

でも、良い映画だなとは思わないけど、鑑賞後なんとなく心地よかった。それはあの映画がわたしの心に引っかかることもなくモヤモヤすらも残さずに終わったからかもしれない。

そういう映画体験ってそう多く無い。

だから入って出て行った、通って過ぎていったということはとても心地のいいことなのかもしれない。

 

そう言えば、ほぼ毎日バイト先の飲み屋に来てくれる大好きなお客さんがいる。このお客さんの毎日来てくれるのに来てくれると毎日ちゃんと嬉しい気持ちになれる理由は、本当にただわたしの目の前を(というか、従業員を含めた店としてのその場を)通り過ぎていくだけだからなのかもしれない。

ずんずん入ってきて勝手に去っていく人は好きじゃ無い。けど、通り、過ぎていくことができる人ってもしかしてすごいのかもしれない。相性だってあるかもしれないけど、なんの爪痕も残さないけれどに顔が見れたら嬉しいというポジションの人のことがとても好きだ。

 

考え始めたら中途半端にはしておけない性分なので、嫌な人や事に出会うと、わかるまで考えたいからしんどくなってしまう。わかる必要なんかないし、理解なんてできないから、どうしてそういうことをするのか自分なりに考える。この人はこーこーこーだからあんなことを言ったんだ。でもこーこーこーでも他人にそういうことはしないよね...え?なんで?というふうに。

何かを言われて手が震えるのはその時々だけで、え?なんで?ってわからない時間の方がずっと長くてずっと辛くてずっと無駄。

 

怒りを箇条書きにして脳みそから消したい。なるべく早く。

焦っているわけでは無いが、自分の目の前をふわりと通り過ぎていく出来事があるだけでクソだった事が笑い話になる。

 

今日は良い日だった。

相変わらず愛みたいなもので気持ちが溢れている。

しあわせだな。